徳川家康陣地跡の碑|北条氏の小田原城を攻める秀吉軍で布陣した場所

徳川家康陣地跡の碑(神奈川県小田原市)徳川家康公関連

徳川家康陣地跡の碑とは、神奈川県小田原市寿町4-14-15に建てられた石碑で、この陣地跡は天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原攻めが行われた際、徳川家康公が陣地を置いた地に建立された石碑です。

碑の総高は335cm、碑石の高さは222cm、碑の幅・厚さは幅130cm・厚さ28cmとなっております。

JR東海道線または小田急小田原線などの小田原駅より徒歩25分ですが、駅前からバスを利用すれば10分程度で行く事ができますので、小田原城観光のついでにオススメの史跡です。

はじめに(豊臣秀吉による小田原征伐)

そもそも、初代・北条早雲の下克上以来、北条氏は5代に渡り小田原城を拠点として勢力を拡大し、戦国時代を通して広く関東を支配するまでに至りました。

その後、天下人・豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏は降伏、戦国乱世に幕を下ろす事となりました。

小田原征伐(おだわらせいばつ)は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が後北条氏を征伐し降した歴史事象・戦役。後北条氏が秀吉の沼田領裁定の一部について武力をもっての履行を惣無事令違反とみなされたことをきっかけに起こった戦いである。後陽成天皇は秀吉に後北条氏討伐の勅書を発しなかったものの、遠征を前に秀吉に節刀を授けており、関白であった秀吉は、天皇の施策遂行者として臨んだ。ここでは小田原城の攻囲戦だけでなく、並行して行われた後北条氏領土の攻略戦も、この戦役に含むものとする。

小田原合戦、小田原攻め、小田原の役、北条征伐、小田原の戦い、小田原の陣、小田原城の戦い(天正18年)とも呼ばれた。

引用元:小田原征伐 - Wikipedia

小田原城自体の城攻めは包囲により降伏を促す戦いでしたが、支城によっては激戦地となった戦場もありました。

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また、この徳川家康陣地跡の碑については江戸時代に編纂された地誌『新編相模国風土記稿』にも以下の通り記載されております。

御陣場蹟

西南の方路傍の林中を云、(長二十間許、横十間許、)按ずるに、天正十八年小田原陣に、東照宮は足柄峠より寄給ひしと云へば、(【管窺武鑑】曰、家康公は足柄越て被成、小田原へ押向給ふ、)其時此所に御陣を据られしと覺ゆ、

引用元:蘆田伊人[1970]『大日本地誌大系19 新編相模国風土記稿第1巻』(雄山閣)
P.270「新編相模国風土記稿巻之二十一 村里部 足柄上郡之十 御陣場蹟」

※文中のカッコ書きは筆者追記。

順路

「小田原駅」東口駅前から箱根登山バスに乗車、バス停「今井」にて下車すると右手に案内看板があります。

「徳川家康陣地跡の碑」と書かれた案内板がありますので、矢印の報告に進んでいきます。

住宅地と田畑の間の小道を少し進むと、すぐに目的地に到着します(写真右側の木の辺り)。

徳川家康陣地跡の碑

徳川家康陣地跡の碑概観(神奈川県小田原市)

石碑は、写真の通り住宅地の中にポツンと建っている印象です。

写真右奥に見える社は、今井権現神社です。

徳川家康陣地跡の碑概観(神奈川県小田原市)

徳川家康陣地跡の碑(神奈川県小田原市)案内看板

小田原市教育委員会の設置した案内看板には、以下の通り書かれております。

小田原市指定重要文化財(昭和三十六年三月三十日指定)
徳川家康陣地跡の碑
(所在地)小田原市寿町四-十四-十五
(所有者)柳川泰久

この記念碑は、天正十八年(一五九〇年)の小田原戦役の際、徳川家康が陣を張った跡に建設されたものです。
碑文は、小田原城主大久保忠真の作で、藩士岡田左太夫光雄に書かせ、天保七年(一八三六年)九月十七日建立しました。
徳川家康は、この戦役に豊臣方の先鋒として、約三万人の兵を率いて出陣し、兵を三方に分けて箱根を越えました。
三島から宮城野を経て、明星岳を越え久野諏訪原に出た軍と、鷹ノ巣城(箱根町)を陥れて湯坂を越えた軍、そして足柄城(南足柄市)、新荘城(山北町)を陥れ、足柄越えした別の軍とが合流し、小田原城の東方のこの地に布陣しました。
陣所は、当時今井(現寿町)に住んでいた柳川和泉守泰久の宅地で、ここを本陣とし、北条氏が降服して開城するまで、およそ一一〇日間滞留していたといわれます。
なお、この碑の形状等は、次の通りです。
一、碑の総高 三三五センチ
一、碑石の高さ 二二二戦地
一、碑の幅・厚さ 幅百三〇センチ・厚さ二八センチ

小田原市教育委員会

引用元:看板『徳川家康陣地跡の碑』小田原市教育委員会

上の写真は、石碑上部の碑文です。

小田原市によると、この石碑上部の記載は「神祖大君営祉ノ碑」と刻まれているとの事。

【参考Webサイト】
小田原市 | 建造物・徳川家康陣地跡の碑

小田原市 | 建造物・徳川家康陣地跡の碑

なお、この碑文本文は文字が今ひとつよく見えない部分が多く、私には読めませんでした。

183年前に建立された石碑ですので、仕方ないのかもしれません。

さいごに

かつて、家康公が布陣した陣地跡ですので、家康公ファンとしては必見の史跡です。

ただ、率直に言うと「わざわざこの石碑だけを見に行く」という場合、そこまでの見応えある史跡だとは思えない人も少なくないかもしれません(住宅地と田畑の中にポツンと石碑が建っているだけなので)。

従いまして、小田原城や石垣山一夜城などを見物するついでに、この本陣跡も見物するというのがオススメです。

なお、家康公ファンの筆者はこの「徳川家康陣地跡の碑」だけを見るために、新宿駅から遠路はるばる小田急線ロマンスカーで小田原まで行き、この陣地跡だけを見物してきました。

案内情報

名称:徳川家康陣地跡の碑
住所:神奈川県小田原市寿町4-14-15
交通:JR東海道線、小田急小田原線など「小田原駅」徒歩25分
備考:小田原駅より箱根登山バス「今井」下車徒歩1分

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