東明寺(神奈川県川崎市)|徳川家康公が名付けた寺

東明寺概観右から徳川家康公関連

攝取山浄土院東明寺は神奈川県川崎市幸区塚越2-118にある、浄土宗のお寺です。

東明寺という名前は、中原街道沿いにある西明寺にて徳川家康公が名付けました。

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徳川家康公が名付けた東明寺

東明寺という寺号は徳川家康公が名付けたということが、川崎市教育委員会のWebページに書かれております。

東名寺は、幸区塚越にある浄土宗の寺院です。『新編武蔵風土記稿』には次にような逸話が伝えられています。慶長18年(1613)徳川家康は鷹狩のため、小杉の西明寺に泊まりました。家康は、側で給仕をしていた貞運という者に、その身分を尋ねました。貞運が小庵の主であると答えたところ、その庵が西明寺の東にあったので、家康により「東明寺」という寺名が与えられたといわれています。

引用元:川崎市教育委員会:東明寺

このように川崎市のWebページでその由来が紹介されておりますが、その由来は当ブログでも度々登場している江戸時代後期に編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』から引用されております。

その『新編武蔵風土記稿』には、以下の通り記されております。

東明寺

村の北にあり、淨土宗にて江戸芝增上寺の末寺なり、攝取山淨土院と號す、起立の由來を尋ぬるに、天正十七年同領の内下平間村より淨圓と云僧來りて庵を結べり、彼は淨土眞宗なりしが、いと寂寥の身にして僅に幽棲の地としければ、定まれる寺號もなく人呼でたゞ淨圓坊とのみいへり、かくて二十二年をへて死す、是慶長十五年の事なり、かの跡の庵へは同年淨土宗の僧貞運と云もの來りて住せり、此僧は當國足立郡桶川宿の人にて多年增上寺にありて学問せしものなりしとぞ、同十八年の頃東照宮御放鷹の時、領中小杉村西明寺へ渡らせ結ひしに、貞運御前近く侍りて御給仕をつとめし時、いかなるものにやと御尋ありけるに、貞運が御答に拙僧は此あたりに小庵を結ひ住るものにて候よし謹で啓しければ、其庵室こゝより東に當れば是より東明寺と號せと宣ひしに、貞運謹で御うけ申て是より山號院號をも定めしとなり、此貞運當寺に住すること僅に五年にして、同き十九年正月十六日寂せり、今是を開山とせり、元和年中二世法譽文明と云僧住せし時、かの東照宮の忝き上意を思ひ、增上寺へ其事を告て末寺となりしより、今に至るまで替らず、本尊彌陀坐像にて長二尺五寸許、客殿は六間四方西向にて向拜を設く、又地藏の畫像あり、絹地にて長三尺三寸程幅一尺七寸許、畫像は蓮華臺の上に立る像にして其上下に雲を畫き、上の方には日輪あり小野道風の筆なりと云傳ふ、いと古色に見ゆ、龕に藏て客殿の右の方に安ず、門は客殿の正面にあり、

引用元:蘆田伊人[1981]『大日本地誌大系9新編武蔵風土記稿第3巻』(雄山閣)P.350〜P.351「新編武蔵風土記稿巻之七十二 橘樹郡之十五 東明寺」

この記載から、家康公が「西明寺から東にあるから東明寺」と名付けた事が分かります。

また、現地に設置されている案内看板には以下の通り書かれております。

東明寺案内看板『東明寺と酒づくりの絵馬』

東明寺と酒づくりの絵馬

もとは、東京芝増上寺の末寺で、天正17(1589)年、浄円がここに住み、のちに増上寺の貞蓮が止住。東明寺の名は、慶長18(1613)年、徳川家康が鷹狩りのため小杉の西明寺に泊まった際、給仕にあたった貞蓮が家康から身分を問われ、東にある小庵の主と答えたところからその名がついた。現在、毎月3・8のつく日に開かれる灸施寮は、塚越の灸として著名である。
またこの寺には、江戸末期の作といわれる酒造りの過程を描写した絵馬が残っている。絵馬には、その頃、塚越村で最も大きな造り酒屋であった新開屋六右衛門の名もみられる。江戸時代における酒造りの様子をうかがい知る上で貴重な資料である。

引用元:川崎歴史ガイド 夢見ヶ崎と鹿島田ルート『東明寺と酒づくりの絵馬』

他にも、現地に設置されている案内看板には、所蔵されている文化財について説明する内容があります。

東明寺案内看板『東明寺の文化財』

東明寺の文化財

当寺には江戸時代後期に描かれたものと考えられる「紙本着色閻魔府之図」が所蔵されています。
本図は縦191cm、横154cmの大画面の上部に閻魔王を描き、使者の罪業を裁くための人頭杖や浄波瑠の鏡、眷族(従者)などを呈しながらもその表情は明るくユニークで、リズミカルな手の動きとともに叱咤の声が聞こえてくるようです。
中央には罪人の舌を抜く、釜で煮るなどの責め苦のほかに、修羅道を描いています。右上には不動明王、右下には賽の河原で石を積む子供達とこれを救済する地蔵菩薩、左下には女人が落ちる血の池地獄と如意輪観音が描かれています。
このように十王の中でも庶民に最も知られる閻魔王と、地獄を同画面に描くという構成により地獄の世界観を強調し、庶民の仏教への帰依を促したのでしょう。
このように十王の中でも庶民に最も知られる閻魔王と、地獄を同画面に描くという構成により地獄の世界観を強調し、庶民の仏教への帰依を促したのでしょう。
また、仏教美術史の中で近世仏画は一般的に類型化が進んだものが多いとも言われますが、本図は鬼卒の明るい表情など、地獄絵の近世的な新しい展開として注目されます。
本図は、平成8(1996)年1月25日、川崎市重要美術品に指定されました。
なお、保存上の都合により、一般公開はしておりません。

平成十三(二〇〇一)年三月 川崎市教育委員会

引用元:東明寺案内看板『東明寺の文化財』

しかしながら、現地にある案内や情報についてはこれで全てであり、家康公に関してこれ以上は何もありませんでした。

東明寺

東明寺は参道、鐘楼、水子供養地蔵尊、墓地と会館、そして本堂という構成になっております。

東明寺・参道

こちらが東明寺の参道です。

東明寺参道

参道には庚申さまがおります。

東明寺・庚申さま概観

しっかりと保護されております。

東明寺・庚申さま

東明寺・本堂

東明寺の本堂は、参道を進んだ先の車道を超えた所にあります。

東明寺概観正面

本堂はコンクリート造りだと思われます。

東明寺概観右から

屋根の手前側だけ瓦の色が緑色ですので、もしかしたらこの部分の瓦は古い時代に使われていた物が残っているのかもしれません。

東明寺・鐘楼

東明寺の境内には立派な鐘楼もあります。

東明寺鐘楼

東明寺・水子供養地蔵尊

鐘楼の奥には水子供養地蔵尊がおりました。

東明寺水子供養地蔵尊概観

東明寺の水子供養地蔵尊は、地元の方々から大切にされているお地蔵さまだという印象を受けました。

東明寺水子供養地蔵尊

残念ながら家康公に関する史跡巡りという意味では特別な見所がある訳ではありませんでしたが、地元に根ざしたお寺という印象で良かったです。

さいごに

今回は、徳川家康公が名付けた東明寺を訪れました。

地元に根ざした立派なお寺だという印象ですが、家康公に繋がる要素は「寺号を名付けた」事以外には特にないようです。

しかし、家康公が寺号を名付けたお寺が、こうして400年後も残っているという事自体に価値があり、素晴らしい事だと思います。

案内情報

  • 名称:攝取山浄土院東明寺
  • 住所:神奈川県川崎市幸区塚越2-118
  • 交通:JR南武線「鹿島田駅」下車徒歩12分

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