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本多忠勝屋敷推定地(静岡県浜松市)|徳川家康公を支えた徳川四天王最強の武将

本多忠勝屋敷推定地(記念碑)日本史|史跡巡り

本多忠勝屋敷推定地は、徳川家康公が岡崎城から浜松城に本拠地を移して以降、その家臣・本多忠勝の屋敷があったと思われる場所です。

現在の静岡県浜松市にあります。

忠勝はその生涯において、合戦では無傷だったと伝えられています。

家康公を支えた徳川四天王の中でも、最強の武将でした。

その武勇は有名で、家康公が武田信玄を相手に退却戦を行った「一言坂の戦い」の後、忠勝の武功を讃えて「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」という狂歌・落書が登場したほどでした。

現在の本多忠勝屋敷推定地

こちらが、現在の本多忠勝屋敷推定地です。

本多忠勝屋敷推定地(遠景)

屋敷跡推定地には現在、記念碑が1つ設置されているのみです。

本多忠勝屋敷推定地(概観)

他には何もありません。

本多忠勝屋敷推定地

記念碑の側面には、説明文が記されています。

本多忠勝屋敷推定地(記念碑裏側)

徳川家康家臣 本多忠勝屋敷推定地

本多忠勝(天文十七年〜慶長十五年 1548〜1610)は、
酒井忠次・榊原康政・井伊直政とともに徳川四天王。江戸時代(十八世紀)に編纂された
『曳駒拾遺』に「本多平八郎忠勝は分器稲荷社の西の家也と云へり」と記されている。

平成29年8月1日 浜松市

引用元:浜松市[2017]『徳川家康家臣 本多忠勝屋敷推定地』(案内看板)

この『曳駒拾遺』に記されている「分器稲荷社」は、記念碑のある屋敷推定地のすぐ隣にある遠江分器稲荷神社ですので、併せて立ち寄ることをおすすめします。

アクセス・案内情報

  • 名称:本多忠勝屋敷推定地
  • 住所:静岡県浜松市中区田町231-1
  • 交通:JR東海道新幹線・JR東海道本線「浜松駅」下車徒歩約10分、遠州鉄道鉄道線「第一通り駅」下車徒歩約5分、同「遠州病院駅」下車徒歩3分。

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