江戸時代の料理再現|徳川家康公の死因?「鯛の天ぷら」再現レシピ

徳川家康公の「鯛の天ぷら」再現レシピ江戸時代の料理再現

今回は、徳川家康公が亡くなった原因だと言われている『鯛の天ぷら』の再現レシピに挑戦しました。

『鯛の天ぷら』といっても江戸時代初期に家康公が召し上がったものは、今日の一般的な『鯛の天ぷら』とは違ったレシピだったようです。

当時は鯛や食用油が貴重であり、天下人であっても天ぷらを食べる機会は少なかったようですが、現代を生きる私たちは簡単に挑戦できます。

ぜひ、稀代の天下人を魅了したその味を、召し上がってみてはいかがでしょうか。

『鯛の天ぷら』の再現レシピ

それでは、早速『鯛の天ぷら』を作りたいと思います。

鯛のイメージ(徳川家康公の「鯛の天ぷら」)

『鯛の天ぷら』の材料(1人分)

【具材】

  • 鯛……100g〜120g
    ※家康公が召し上がったのは大鯛や甘鯛だったそうですが、今回は手に入った真鯛(刺身用)を使用しました。
  • 小麦粉(薄力粉)……大さじ2
  • 水……大さじ2
  • にんにく……適量
  • 塩……小さじ1
    ※薄味がお好みの方は小さじ2/4~3/4くらいで調整してください。
  • ごま油……適量

※「鯛に衣をつけずに油で揚げた、素揚げのような料理だった」とする情報もありますが、戦国時代末期~江戸時代初期には既に、小麦粉を水で溶いた衣をつけて揚げていたとする情報もあります。今回は、後者の情報に基づいて(あと永山先生の文献を参考にして)再現を試みました。

『鯛の天ぷら』の作り方

1.鯛をそぎ切りにする。

真鯛そぎ切り(徳川家康公の「鯛の天ぷら」)

2.にんにくをすり下ろす。

※にんにくチューブでも可。

3.薄力粉大さじ2、塩小さじ1、水大さじ2を混ぜる。

天ぷら衣の材料(徳川家康公の「鯛の天ぷら」)

4.箸でさっくりと混ぜて溶く。

天ぷら衣(徳川家康公の「鯛の天ぷら」)

5.ごま油を180度程度に熱する。

揚げ油はごま油を使用(徳川家康公の「鯛の天ぷら」)

6.鯛に3の生地をまとわせて、4のごま油で揚げる。

鯛の切り身に衣をまとわせる2(徳川家康公の「鯛の天ぷら」)

7.揚げ色がしっかり付くまで揚げる。

鯛を揚げる(徳川家康公の「鯛の天ぷら」)

※今回、筆者は家康公が重んじた倹約の精神に則り、通常より使用する油を少なくした「揚げ焼き」で鯛を揚げました。

鯛を揚げる2(徳川家康公の「鯛の天ぷら」)

8.クッキングペーパーを敷いた皿に上げて油を切る。

※今回は中まで火が通っているか心配だった事もあり、刺身用の鯛を使用しました。加熱用の鯛を使用する際は、中までしっかりと加熱してください。

8.油を切った鯛を皿に盛り付けて、すりおろしたにんにくを脇に添えたら完成です。

徳川家康公の「鯛の天ぷら」再現レシピ2

家康公の好物だった『鯛の天ぷら』を食べてみた感想

徳川家康公の「鯛の天ぷら」再現レシピ(インサート)

大変美味しかったです。

そのまま食べると、サクッとした衣とふっくらした鯛の身が美味しく、また鯛の香りも一口食べた瞬間にフワッと香ります。

個人的には、にんにくは少量を付けて食べるのが美味しいと思いました。

これが稀代の天下人・徳川家康公を魅了した料理かと思うと、また格別の美味しさです。

これまでずっと粗食を旨としてきた家康公が、晩年にたらふく食べてしまったのも無理はないと思います。

家康公と『鯛の天ぷら』について

今回、再現レシピの作成にあたって調べた内容をまとめておきます。

実は2通りのレシピがある? ~『徳川実記』と『元和年録』~

実は、家康公が召し上がったとされる『鯛の天ぷら』に関する記述は、史料によって2通りのレシピがあります。

『東照宮御実記』(徳川実記)によると「鯛をかやの油にてあげ。そが上に薤(にら)をすりかけしが行はれて」と記されています。

つまり「鯛をかや油で揚げて、ニラの擦りおろしで食べた」とされています。

しかし『元和年録』によると「鯛を胡麻の油にて揚げ候て、ひるをすりかけ候て」と記されています。

つまり「鯛を胡麻ごま油で揚げて、ひる(にんにく)の擦りおろしで食べた」という事になります。

徳川家康公の「鯛の天ぷら」再現レシピ(にんにくを付けて)

今回の再現レシピでは、かや油が高価(100g2,000円くらい)である事と、ニラが手に入らなかった事から、後者の「胡麻油」「にんにく」を使用する元和年録版レシピを採用しました。

胡麻油で揚げた天ぷらも大変美味でしたが、かや油で揚げた天ぷらは格別らしいので、我こそはと思う方はぜひ徳川実記版にも挑戦してみてください。

『鯛の天ぷら』による食中毒が家康公の死因?

家康公の死因については複数の説がありますが、その中に「鯛の天ぷらによる食中毒(食あたり)説」があります。

元和2年(1616年)1月21日、家康公は鷹狩に出かけた先で、懇意にしている京の商人・茶屋四郎次郎に、近頃都で流行っている食べ物を尋ねました。

そこで四郎次郎から、魚介類を油で揚げる付揚げが流行っていると聞いた家康公は、その日のうちに作らせて召し上がったところ大変気に入り、食べ過ぎてしまったそうです(田中城にて、大鯛2枚、甘鯛3枚を食べたそうです)。

その日の晩、家康公は激しい腹痛を起こして寝込んでしまいました。

しかし、家康公が駿府城で薨去こうきょされたのは、同年4月17日巳の刻(午前10時頃)です。

仮に、家康公の死因が1月21日に召し上がった『鯛の天ぷら』であったならば、その約3ヶ月に亡くなったというのは不可解です(食中毒が死因なら、召し上がってから数日以内に亡くなると思われる)。

従って、家康公の死因は「鯛の天ぷらによる食中毒(食あたり)説」ではないと考えるべきです。

現在の定説としては、家康公の死因は「胃がん説」が最も有力視されています。

前出の『徳川実紀』に、家康公の病状として「見る間に痩せていき、吐血と黒い便、腹にできた大きなシコリは、手で触って確認できるくらいだった」と記載されており、この症状は胃がん患者に多く見受けられるものであるからだそうです。

この辺り、2023年放送の大河ドラマ『どうする家康』では、どのように描かれるのでしょうか。

(描かれるとしても、おそらく最終話辺りでしょうが)今から気になってしまうところですね。

天ぷら料理の普及

江戸時代初期においては食用油が貴重だった事もあり、天ぷらはごく一部の人が食べる料理でした。

しかし、江戸時代も進むと、菜種油などの食用油が量産されるようになり、屋台料理の定番メニューとして江戸庶民が良く食べる料理になっていきます。

当時の屋台では串を打った天ぷらが売られていましたが、お値段は「1串4~6文=約63~95円」と手ごろな値段だったそうです(磯田道史[2020]『カラー版 江戸の家計簿』宝島社 P.126)。

参考資料

参考文献

永山久夫[2012]『武士のメシ』宝島社

磯田道史[2020]『カラー版 江戸の家計簿』宝島社

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