日本史|関東を中心とした史跡巡りなど

日本史|関東を中心とした史跡巡りなど日本史|史跡巡り

このブログの筆者・takaが趣味全開でお送りする記事一覧です。

好きなもの日本史、好きな時代は戦国時代〜江戸時代、好きな偉人は徳川家康公、という私が実際に訪れた史跡や、歴史スポットをご紹介いたします。

思い立つままにふらっと見学に行きますが、関東を中心とした家康公スポットなども充実していけたらいいなと考えております。

日本史|史跡巡り

雲光院(東京都江東区)|徳川家康公側室の才女・阿茶局の菩提寺

今回は東京都江東区にある、浄土宗龍徳山雲光院を訪れました。 雲光院は徳川家康公の側室・阿茶局の発願により、慶長16年(1611年)に増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人として開創されました。 阿茶局の法号である「雲光院」の名が、そのまま寺の名称となっています。
徳川家康公関連

白幡八幡大神|徳川秀忠が関ヶ原の戦いや大坂の陣で戦勝祈願した禰宜舞(ねぎまい)

江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、二代将軍・徳川秀忠が「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」の折に戦勝祈願のために「禰宜舞(ねぎまい)」を舞わせた神社との事です。 この「禰宜舞」は一子相伝にて代々受け継がれ、今日でも毎年7月と9月に披露されています。 今日を生きる私たちが、400年前に家康公や秀忠が祈願した舞を観ることができる――歴史ロマンあふれる魅力を感じます。
徳川家康公関連

中原御殿跡(神奈川県平塚市)|裏門が現存する徳川家康公の御殿跡

今回は徳川家康公が江戸と京都を往来する際に宿泊した、中原御殿の跡地を訪れました。 中原御殿は、平塚から江戸城虎ノ門を繋ぐ中原街道筋に建てられた御殿です。 現在、中原御殿の跡地には石碑『相州中原御殿之碑』が建立されているのみですが、中原御殿の裏門が近隣にある善徳寺の三門として移築されて現存しています。
徳川家康公関連

方広寺鐘楼(京都東山)|徳川家康公を呪う「国家安康・君臣豊楽」の梵鐘

お寺の鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の言葉が時の天下人・徳川家康公を激怒させ、大坂の陣は起こり豊臣家が滅亡した―― 学生時代、歴史を動かしたこの碑文を、日本史の教科書や資料集で見た人も多いのではないでしょうか。 今回は、京都・東山の方広寺を訪れ、ついにこの歴史的梵鐘を見ることができました。
日本史|史跡巡り

杉山社(杉山神社)川崎市多摩区|家康公の謀臣・本多正信ゆかりの神社

今回は、地域にある神社が実は、徳川家康公の謀臣・本多佐渡守正信ゆかりの神社でしたというブログです。 正信は唯一、家康公の寝所に帯刀したまま入室することを許されていた程、家康公から絶大な信頼を受けていた名参謀です。 実は筆者が家康公の次に好きな偉人は、この本多正信です。
徳川家康公関連

東明寺(神奈川県川崎市)|徳川家康公が名付けた寺

攝取山浄土院東明寺は神奈川県川崎市幸区塚越2-118にある、浄土宗のお寺です。 東明寺という名前は、中原街道沿いにある西明寺にて徳川家康公が名付けました。
徳川家康公関連

竹千代手習いの間|『麒麟がくる』人質時代の徳川家康公が太原雪斎に手習いを受けた部屋

竹千代手習いの間とは、徳川家康公が松平竹千代と名乗っていた幼少の頃、臨済寺の僧侶にして今川義元の名参謀・太原雪斎から手習いを受けていた部屋の再現展示です。 令和2年4月26日放送の大河ドラマ『麒麟がくる』紀行第15回でも、この部屋の再現展示が紹介されました。 竹千代手習いの間は、駿府城公園の東御門・巽櫓に設立された資料館で展示されております。 家康公は今川義元の下に送られて駿府で人質として過ごしていた頃に、雪斎から様々な知識を学び得ており、後の家康公の基礎が出来上がった時期でもありました。
徳川家康公関連

二ヶ領用水|徳川家康公が小泉次大夫に作らせた神奈川県最古の用水路

二ヶ領用水とは、徳川家康公が小泉次大夫に命じて作らせた用水路であり、主に現在の神奈川県川崎市を縦断するように流れている神奈川県最古の人工用水路です。 慶長4年(1599年)に普請が始まり、慶長16年(1611年)に竣工した12年に及ぶ難工事でした。 二ヶ領用水という名前の由来は、江戸時代2つの領(稲毛領と川崎領)に流れていた事に由来します。
徳川家康公関連

徳川家康像(静岡市葵区)|駿府城公園の徳川家康公銅像とお手植えミカン

徳川家康公の像は各地にありますが、本銅像は家康公が晩年を過ごした駿府城の跡地に建てられた銅像です。 現在は駿府城公園の一角にあります。 駿府城は徳川家康公によって天正13年(1585年)に築城され、翌天正14年(1586年)に本丸御殿が完成し家康公が移りました。
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