『絶対行きたくなる!日本不滅の名城「江戸城」』の史跡に行ってみた

上野東照宮|徳川家康公を祀る黄金の東照宮(夜間ライトアップも)

二ヶ領用水|徳川家康公が小泉次大夫に作らせた神奈川県最古の用水路

八王子城跡|秀吉軍の前田・上杉・真田らを苦戦させた北条最後の激戦地

日本史|関東を中心とした史跡巡りなど

日本史|関東を中心とした史跡巡りなど日本史|史跡巡り

このブログの筆者・takaが趣味全開でお送りする記事一覧です。

好きなもの日本史、好きな時代は戦国時代〜江戸時代、好きな偉人は徳川家康公、という私が実際に訪れた史跡や、歴史スポットをご紹介いたします。

思い立つままにふらっと見学に行きますが、関東を中心とした家康公スポットなども充実していけたらいいなと考えております。

日本史|史跡巡り

昌平坂学問所跡|『新編武蔵風土記稿』を編纂した徳川幕府の学問所

昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)は、地誌『新編武蔵風土記稿』や『新編相模国風土記稿』を編纂した、徳川幕府直轄の学問所です。 寛政2年(1790年)、神田湯島に設立されました。 正式名称は「学問所」であり「昌平黌(しょうへいこう)」とも称されました。
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多摩川浅間神社|源頼朝の妻「尼将軍」北条政子ゆかりの地

多摩川浅間神社は、東京都大田区にある神社です。 多摩川浅間神社の創建は、鎌倉幕府を開いた源頼朝公の妻・北条政子が頼朝出陣の後を追って同地を訪れた際の出来事に由来しています。 文治年間(1185年〜1190年)に創建されました。 また、近年では映画『シン・ゴジラ』のロケ地としても有名です。
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源頼朝公落馬地|源頼朝公の死因は? なぜ死んだ? 怨霊説!?

今回は神奈川県平塚市にある史跡『源頼朝公落馬地』を訪れました。 2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は鎌倉幕府執権・北条義時が主人公ですが、その物語は源頼朝公亡き後の鎌倉幕府における「御家人13人による合議制」が舞台です。 では、その鎌倉幕府を開いた源頼朝公は、なぜ亡くなったのでしょうか? その死因は何だったのでしょうか?
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雲光院(東京都江東区)|徳川家康公側室の才女・阿茶局の菩提寺

今回は東京都江東区にある、浄土宗龍徳山雲光院を訪れました。 雲光院は徳川家康公の側室・阿茶局の発願により、慶長16年(1611年)に増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人として開創されました。 阿茶局の法号である「雲光院」の名が、そのまま寺の名称となっています。
徳川家康公ゆかりの地

白幡八幡大神|徳川秀忠が関ヶ原の戦いや大坂の陣で戦勝祈願した禰宜舞(ねぎまい)

江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、二代将軍・徳川秀忠が「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」の折に戦勝祈願のために「禰宜舞(ねぎまい)」を舞わせた神社との事です。 この「禰宜舞」は一子相伝にて代々受け継がれ、今日でも毎年7月と9月に披露されています。 今日を生きる私たちが、400年前に家康公や秀忠が祈願した舞を観ることができる――歴史ロマンあふれる魅力を感じます。
徳川家康公ゆかりの地

中原御殿跡(神奈川県平塚市)|裏門が現存する徳川家康公の御殿跡

今回は徳川家康公が江戸と京都を往来する際に宿泊した、中原御殿の跡地を訪れました。 中原御殿は、平塚から江戸城虎ノ門を繋ぐ中原街道筋に建てられた御殿です。 現在、中原御殿の跡地には石碑『相州中原御殿之碑』が建立されているのみですが、中原御殿の裏門が近隣にある善徳寺の三門として移築されて現存しています。
徳川家康公ゆかりの地

方広寺鐘楼(京都東山)|徳川家康公を呪う「国家安康・君臣豊楽」の梵鐘

お寺の鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の言葉が時の天下人・徳川家康公を激怒させ、大坂の陣は起こり豊臣家が滅亡した―― 学生時代、歴史を動かしたこの碑文を、日本史の教科書や資料集で見た人も多いのではないでしょうか。 今回は、京都・東山の方広寺を訪れ、ついにこの歴史的梵鐘を見ることができました。
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杉山社(杉山神社)川崎市多摩区|家康公の謀臣・本多正信ゆかりの神社

今回は、地域にある神社が実は、徳川家康公の謀臣・本多佐渡守正信ゆかりの神社でしたというブログです。 正信は唯一、家康公の寝所に帯刀したまま入室することを許されていた程、家康公から絶大な信頼を受けていた名参謀です。 実は筆者が家康公の次に好きな偉人は、この本多正信です。
徳川家康公ゆかりの地

東明寺(神奈川県川崎市)|徳川家康公が名付けた寺

攝取山浄土院東明寺は神奈川県川崎市幸区塚越2-118にある、浄土宗のお寺です。 東明寺という名前は、中原街道沿いにある西明寺にて徳川家康公が名付けました。
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