徳川家康公ゆかりの地巡り(関東の史跡・神社仏閣など中心)

徳川家康公ゆかりの地巡り(関東の史跡・神社仏閣など中心)徳川家康公ゆかりの地

徳川家康公ゆかりの史跡を訪れた記録や、家康公に関連する記事など、筆者の趣味による記事の一覧をまとめました。

よく戦国時代の「三英傑」として、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と並べ称されますが、信長・秀吉と比べて家康公の人気は今ひとつのような印象があります。

しかし、志半ばにして本能寺で倒れた信長、天下統一を達成するも政権は一代しか続かなかった秀吉に対して、260年続く天下泰平の世を築き上げた家康公こそ、戦国時代の真の勝者と言えるのではないでしょうか。

また家康公の歩んだ人生は、幼少の頃から忍耐や窮地ばかり続く人生ながら、晩年にようやく天下取りの機を得て最後に勝利する——まさしく、物語の主人公であるかのようなカタルシスを得られる道のりではありませんか。

加えて、吝嗇家(りんしょくか:ケチ)としての一面を見せる数々のドケチエピソードや、興味のある事は何でも自ら学ぼうとする姿勢、今で言う図書館を作ったり、今日に伝わる『吾妻鏡』は各地に散らばる断片を家康公が収集して編纂された物である等、そのお人柄や大名としての戦い以外の側面もまた魅力的な偉人だと思うのです。

このようなブログで恐縮でありますが、そうした家康公の魅力を世に少しでも広められれば幸いです。

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家康公ゆかりの地・史跡巡り
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【その他の場所】

家康公ゆかりの地:関東編

世良田東照宮(群馬県太田市)|最初の日光東照宮社殿が現存する徳川家発祥の地

金ピカの豪華絢爛な社殿で有名な日光東照宮ですが、実は最初から今の社殿ではありませんでした。 2代将軍・徳川秀忠が家康公を祀るために建てた最初の日光東照宮は、家康公の遺言により質素な社殿でした。 その後、3代将軍・徳川家光が今の金ピカ日光東照宮に建て替えたのですが、その時に最初の社殿は移築されました。 今回は、その日光東照宮の最初の社殿が現存する、世良田東照宮をご紹介いたします。
家康公ゆかりの地:関東編

須賀神社・小山評定之碑(栃木県小山市)|徳川家康公による小山評定が行われた場所

慶長5年9月15日(1600年10月21日)、美濃国不破郡関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ケ原町)にて、徳川家康公率いる東軍と石田三成ら西軍が「関ヶ原の戦い」を行いました。 「関ヶ原の戦い」の約3ヶ月前、慶長5年7月25日(1600年9月3日)下野国しもつけのくに小山おやまに布陣していた家康公は、豊臣軍の諸将を集めて軍議を開きます。 この「小山評定おやまひょうじょう」により結束した東軍は、反転して西へ向かい進軍していきます。 今回は「小山評定」が行われた場所である須賀神社をご紹介いたします。
家康公ゆかりの地:関東編

小山評定跡碑(栃木県小山市)|徳川家康公が「関ヶ原の戦い」前に開いた伝説の軍議とは?

小山評定跡碑は、栃木県小山市中央町1丁目1-1にある記念碑で、同地は「小山評定」が行われた地です。 日本史上最大の野戦合戦「関ヶ原の戦い」の直前に、上杉討伐軍(会津討伐軍)を反徳川勢力討伐軍に転換させた「小山評定」が行われました。 まさに、関ヶ原の戦い開戦前の見所の1つがここで行われたのだと思うと、感慨深いものがあります。
家康公ゆかりの地:関東編

住吉神社(東京都中央区佃)|佃煮の発祥には徳川家康公が関係していた?

住吉神社は東京都中央区佃にある、徳川家康公ゆかりの神社です。 家康公と住吉神社のある佃島の村人たちとの縁は、天正年間に家康公が清和源氏ゆかりの霊廟・多田院を参拝する際に、摂津国・田蓑島の漁夫達が漁船に家康公を乗せて神崎川を渡った所から始まります。 しかし、家康公と佃村の村人たちの出会いにはもう1つの説があります。 その縁は天正10年(1582年)に起きた「本能寺の変」からの「神君伊賀越え」にさかのぼるそうです。
家康公ゆかりの地:岡崎編

徳川家康公騎馬武者像(愛知県岡崎市)|珍しい騎馬武者姿の家康公銅像

徳川家康公騎馬武者像は、家康公が松平姓から徳川姓に改姓した25歳当時の姿を模した銅像です。 日本最大級の騎馬像であり、家康公の銅像としてはおそらく唯一の騎馬武者姿の銅像です。 令和元年11月2日に完成したため、現在最も新しい家康公の銅像ではないでしょうか。
家康公ゆかりの地:岡崎編

六所神社(愛知県岡崎市)|徳川家康公の産土神を祀る松平家ゆかりの神社

六所神社は、松平家初代・松平親氏の時から産土神として信仰されてきました。 松平家9代目となる徳川家康公の産土神として拝礼が行われたのも、この六所神社です。 古くは征夷大将軍・坂上田村麻呂が、東征の折に祈願しました。 境内の社殿等は徳川幕府三代将軍・徳川家光が造営した当時の物が現存しています。
家康公ゆかりの地:浜松編

徳川家康公ゆかりの地めぐり「浜松編」1日で観光する日帰り旅モデルコース

徳川家康公は元亀元年(1570年)に三河国・岡崎から本拠地を移して以降、天正14年(1586年)に本拠地を駿河国・駿府に移すまでの17年間、遠江国・浜松を本拠地としていました。 今回は、そんな浜松の家康公ゆかりの地を巡るツアープラン・モデルコースをご紹介いたします。
家康公ゆかりの地:浜松編

三方ヶ原古戦場(静岡県浜松市)|徳川家康公の生涯唯一の惨敗「三方ヶ原の戦い」

三方ヶ原古戦場は、若き日の徳川家康公が軍神・武田信玄に真正面から野戦合戦を仕掛け、生涯唯一の惨敗を喫した「三方ヶ原の戦い」が行われた古戦場跡です。 元亀3年(1572)12月22日、家康公の居城・浜松城の北に広がる三方ヶ原台地にて、徳川・武田両軍が激突しました。 この敗北が、後の家康公を作り上げていく大きなターニングポイントとなりました。
家康公ゆかりの地:浜松編

太刀洗の池跡(静岡県浜松市)|家康公正室・築山殿(瀬名姫)を斬首した刀を洗った池

太刀洗の池跡は、徳川家康公の正室・築山殿(瀬名姫)を斬首した刀を、池の水で洗ったと伝わる跡地です。 織田信長による「信康切腹事件」の際に、築山殿は徳川家家臣の岡本時仲と野中重政に自害を迫られますが、これを拒みました。 結果、築山殿は重政に斬首され、享年38歳でこの世を去りました。 その折、重正は刀に付いた血をこの地にあった池の水で洗い流したため、大刀洗の池と呼ばれるようになったそうです。
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