家康公ゆかりの地:関東編

家康公ゆかりの地:関東編家康公ゆかりの地:関東編

関東(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県)や近郊にある、家康公ゆかりの史跡や神社仏閣などを中心に特集しています。

家康公ゆかりの地:関東編

宗仲寺(神奈川県座間市)|家康公お手植えの銀杏が残る家康公ゆかりの寺

浄土宗来迎山峰月院宗仲寺は、徳川家康公ゆかりの寺であり、家康公がお手植えされた銀杏の木が現存しています。 家康公が、鷹狩りの際に立ち寄ったとの言い伝えが残されています。 また、元和3年(1617)家康公のご棺を駿府の久能山東照宮から日光東照宮に移動する際は、この宗仲寺で休憩しました。
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中原御殿跡(神奈川県平塚市)|裏門が現存する徳川家康公の御殿跡

今回は徳川家康公が江戸と京都を往来する際に宿泊した、中原御殿の跡地を訪れました。 中原御殿は、平塚から江戸城虎ノ門を繋ぐ中原街道筋に建てられた御殿です。 現在、中原御殿の跡地には石碑『相州中原御殿之碑』が建立されているのみですが、中原御殿の裏門が近隣にある善徳寺の三門として移築されて現存しています。
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東明寺(神奈川県川崎市)|徳川家康公が名付けた寺

攝取山浄土院東明寺は神奈川県川崎市幸区塚越2-118にある、浄土宗のお寺です。 東明寺という名前は、中原街道沿いにある西明寺にて徳川家康公が名付けました。
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二ヶ領用水|徳川家康公が小泉次大夫に作らせた神奈川県最古の用水路

二ヶ領用水とは、徳川家康公が小泉次大夫に命じて作らせた用水路であり、主に現在の神奈川県川崎市を縦断するように流れている神奈川県最古の人工用水路です。 慶長4年(1599年)に普請が始まり、慶長16年(1611年)に竣工した12年に及ぶ難工事でした。 二ヶ領用水という名前の由来は、江戸時代2つの領(稲毛領と川崎領)に流れていた事に由来します。
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史跡徳川将軍小杉御殿跡|徳川家康公も利用した中原街道筋の御殿

史跡徳川将軍小杉御殿跡は、かつて小杉御殿のあった跡地のことであり、現在は神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目の中原街道沿いにその記念碑が建立されております。 中原街道はまだ東海道が整備される前の時代、徳川家康公が江戸ご入府や鷹狩りなどに利用し、小杉御殿も利用しておりました。
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二ツ橋地名由来の碑|徳川家康公の詠んだ和歌が地名の由来となった場所

二ツ橋地名由来の碑とは、神奈川県横浜市瀬谷区瀬谷1丁目27にある、地名の由来を示した記念碑です。 二ツ橋という地名の由来は、徳川家康公が慶長18年(1612年)に詠んだ和歌によるものだそうです。 場所は横浜市瀬谷で、現在は中原街道と厚木街道の交差点となっております。
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上野東照宮|徳川家康公を祀る黄金の東照宮(夜間ライトアップも)

上野東照宮は寛永4年(1627年)に藤堂高虎が、当時上野にあった自身の敷地内に創建したのが発祥です。 その後、慶安4年(1651年)に家康公の孫である三代将軍・徳川家光が改築したものが、現在まで残る社殿となっております。 近年は、期間限定で夜間ライトアップも行われております。
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船橋御殿跡東照宮|徳川家康公ゆかりの史跡「日本一小さい東照宮」

船橋御殿跡東照宮は、千葉県船橋市本町4丁目29-7にある船橋御殿の跡地に建つ東照宮です。 船橋御殿は徳川家康公によって、鷹狩や領内視察などの宿泊や休憩所として慶長19年(1614)頃に建てられたと推定されています。 その跡地に建つ船橋御殿跡東照宮は「日本一小さい東照宮」だそうです。
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武蔵国府跡(国司館地区)史跡広場|徳川家康公の棺が逗留した府中御殿跡

「国史跡 武蔵国府跡(国司館地区)史跡広場」は、平成30年11月25日に「国司館と家康御殿史跡広場」としてオープンした史跡です。 この史跡は、飛鳥時代〜奈良時代の初め頃(7世紀末〜8世紀初頭)に武蔵国府の国司館(こくしのたち)があった跡地です。 また、徳川家康公により天正18年(1590年)に建てられ、その後、正保3年(1646年)に焼失した「府中御殿」の跡地でもあります。
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