徳川家臣団ゆかりの地

曹洞宗金寳山安心院(愛知県岡崎市)|源義経との悲恋『浄瑠璃姫伝説』

曹洞宗金寳山安心院は愛知県岡崎市にある、源義経ゆかりのお寺です。 名鉄名古屋本線「東岡崎駅」下車徒歩5分、徳川家康公の産土神を祀る六所神社のすぐ近くにあります。 岡崎の家康公ゆかりの地巡りをする際は、ぜひ六所神社と共に訪れてはいかがでしょうか。 なお、安心院は家康公の忠臣・成瀬家ゆかりの地でもあります。
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宗源院(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で討死した成瀬正義らが眠る寺

宗源院は、静岡県浜松市にある曹洞宗のお寺です。 宗源院には、徳川家康公の忠臣で「三方ヶ原の戦い」にて討死した成瀬正義の墓所があります。 また、同じく「三方ヶ原の戦い」にて徳川勢の旗手を務め、その撤退戦の最中に討死した外山正重の墓所もあります。
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夏目次郎左衛門吉信の碑(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で家康公への恩を返して討死した忠臣

夏目次郎左衛門吉信の碑は、静岡県浜松市にある犀ヶ崖古戦場の向かいにある記念碑です。 夏目吉信は徳川家康公の家臣でしたが、三河一向一揆の際には他の家臣らと共に離反して家康公に刃を向けました。 しかし捕縛された際、家康公の寛大な処置により許されます。 この時の恩義を忘れなかった吉信は、後年「三方ヶ原の戦い」において、家康公が武田信玄に敗れて浜松城へ逃げ帰る際に、家康公の身代わりとなって武田勢と戦い、犀ヶ崖の近くで討死を果たしました。
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本多肥後守忠真の碑(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で家康公を守るために討死した忠臣

本多肥後守忠真の碑は、静岡県浜松市にある犀ヶ崖古戦場の一角にある石碑です。 本多忠真は徳川家康公の家臣で、あの本多忠勝の叔父です。 忠真は「三方ヶ原の戦い」において、家康公が武田信玄に敗れて浜松城へ逃げ帰る際に、殿(しんがり)を務めてこの地で討死を果たしました。
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本多忠勝屋敷推定地(静岡県浜松市)|徳川家康公を支えた徳川四天王最強の武将

本多忠勝屋敷推定地は、徳川家康公が岡崎城から浜松城に本拠地を移して以降、その家臣・本多忠勝の屋敷があったと思われる場所です。 現在の静岡県浜松市にあります。 忠勝はその生涯において、合戦では無傷だったと伝えられています。
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杉山社(杉山神社)川崎市多摩区|家康公の謀臣・本多正信ゆかりの神社

今回は、地域にある神社が実は、徳川家康公の謀臣・本多佐渡守正信ゆかりの神社でしたというブログです。 正信は唯一、家康公の寝所に帯刀したまま入室することを許されていた程、家康公から絶大な信頼を受けていた名参謀です。 実は筆者が家康公の次に好きな偉人は、この本多正信です。
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頭殿権現社|太田道灌が勧請し伊奈忠次が営繕した伊奈氏屋敷跡の権現社

頭殿権現社は長禄年間(1457〜1460)に太田道灌が勧請し、天正19年(1591)に伊奈忠次が陣屋に入った後に営繕したと言われています。 なお、伊奈氏屋敷跡は平成29年より「忠次プロジェクト」の一環として、町道が散策路として整備されたとの事です。
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伊奈氏屋敷跡|徳川家康公家臣「利根川を曲げた男」伊奈忠次の屋敷跡

伊奈氏屋敷跡は埼玉県北足立郡伊奈町大字小室217-5にある、関東郡代・伊奈忠次が天正19年(1591)に築いた陣屋跡です。 なお、伊奈氏陣屋跡は平成29年より「忠次プロジェクト」の一環として、町道が散策路として整備されたとの事です。
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関宿城博物館|『家康、江戸を建てる』利根川を曲げた伊奈忠次の活躍

千葉県立関宿城博物館は、利根川と江戸川の分岐点に建設された「川の歴史と文化を探る」博物館であり、利根川を曲げた伊奈忠次らの活躍も描かれている『家康、江戸を建てる』著者・門井慶喜先生の『徳川家康の江戸プロジェクト』で紹介されているスポットです。 利根川流域における洪水・治水の歴史や産業・文化を展示する博物館として、平成7年に開館しました。
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