戦国時代

麒麟がくる

『麒麟がくる』足利義輝討死シーンの掛け軸「八幡大菩薩」とは?

大人気放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』2020年9月20日放送の第24回「将軍の器」冒頭にて、室町幕府第13代将軍・足利義輝(演:向井理さん)が襲撃を受け、壮絶な討ち死にするシーンが放送されました。 この義輝の討死シーンで、甲冑の後ろにかけられていた掛軸には「八幡大菩薩」と書かれていました。 「八幡大菩薩」とは、一体何でしょうか? 今回は、この「八幡大菩薩」という言葉の意味について、まとめてみました。
日本史|史跡巡り

雲光院(東京都江東区)|徳川家康公側室の才女・阿茶局の菩提寺

今回は東京都江東区にある、浄土宗龍徳山雲光院を訪れました。 雲光院は徳川家康公の側室・阿茶局の発願により、慶長16年(1611年)に増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人として開創されました。 阿茶局の法号である「雲光院」の名が、そのまま寺の名称となっています。
徳川家康公関連

白幡八幡大神|徳川秀忠が関ヶ原の戦いや大坂の陣で戦勝祈願した禰宜舞(ねぎまい)

江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、二代将軍・徳川秀忠が「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」の折に戦勝祈願のために「禰宜舞(ねぎまい)」を舞わせた神社との事です。 この「禰宜舞」は一子相伝にて代々受け継がれ、今日でも毎年7月と9月に披露されています。 今日を生きる私たちが、400年前に家康公や秀忠が祈願した舞を観ることができる――歴史ロマンあふれる魅力を感じます。
徳川家康公関連

中原御殿跡(神奈川県平塚市)|裏門が現存する徳川家康公の御殿跡

今回は徳川家康公が江戸と京都を往来する際に宿泊した、中原御殿の跡地を訪れました。 中原御殿は、平塚から江戸城虎ノ門を繋ぐ中原街道筋に建てられた御殿です。 現在、中原御殿の跡地には石碑『相州中原御殿之碑』が建立されているのみですが、中原御殿の裏門が近隣にある善徳寺の三門として移築されて現存しています。
日本史|雑記

「守護・地頭」「守護大名・守護代」「戦国大名」「譜代大名・外様大名」の違いとは?

現在大人気放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、ドラマ内で「守護大名」や「守護代」という言葉がたびたび登場しています。 また、似たような言葉で「守護(守護・地頭)」や「大名」、あるいは「戦国大名」や「譜代大名」「外様大名」という言葉が有名かと思います。 今回は、それぞれの言葉の意味や特徴、それぞれの違いについてまとめてみました。
徳川家康公関連

方広寺鐘楼(京都東山)|徳川家康公を呪う「国家安康・君臣豊楽」の梵鐘

お寺の鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の言葉が時の天下人・徳川家康公を激怒させ、大坂の陣は起こり豊臣家が滅亡した―― 学生時代、歴史を動かしたこの碑文を、日本史の教科書や資料集で見た人も多いのではないでしょうか。 今回は、京都・東山の方広寺を訪れ、ついにこの歴史的梵鐘を見ることができました。
日本史|雑記

徳川家康公の旗印|厭離穢土欣求浄土の意味と込められた想いとは?

家康公の旗印「厭離穢土欣求浄土」とは、一体どういう意味なのでしょうか? 今回は徳川家康公の旗印に書かれた「厭離穢土欣求浄土」という言葉の意味と、その言葉に込められた家康公の想いに迫ってみます。
日本史|雑記

武士の髪型|なぜ武士はちょんまげ(丁髷)に月代(さかやき)なのか?

絶賛放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、登場する武士の髪型がいわゆるちょんまげ(髷)と月代という髪型の武将が多く見られます。 月代とは、前頭部から頭頂部にかけての範囲の頭髪を剃った髪型のことです。 また、ちょんまげ(髷)とは、月代で剃った残りの頭髪を結った髪型のことです。 なぜ、武士はこのような独特な髪型にしていたのでしょうか。
徳川家康公関連

竹千代手習いの間|『麒麟がくる』人質時代の徳川家康公が太原雪斎に手習いを受けた部屋

竹千代手習いの間とは、徳川家康公が松平竹千代と名乗っていた幼少の頃、臨済寺の僧侶にして今川義元の名参謀・太原雪斎から手習いを受けていた部屋の再現展示です。 令和2年4月26日放送の大河ドラマ『麒麟がくる』紀行第15回でも、この部屋の再現展示が紹介されました。 竹千代手習いの間は、駿府城公園の東御門・巽櫓に設立された資料館で展示されております。 家康公は今川義元の下に送られて駿府で人質として過ごしていた頃に、雪斎から様々な知識を学び得ており、後の家康公の基礎が出来上がった時期でもありました。
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