新編武蔵風土記稿

徳川家康公関連

白幡八幡大神|徳川秀忠が関ヶ原の戦いや大坂の陣で戦勝祈願した禰宜舞(ねぎまい)

江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、二代将軍・徳川秀忠が「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」の折に戦勝祈願のために「禰宜舞(ねぎまい)」を舞わせた神社との事です。 この「禰宜舞」は一子相伝にて代々受け継がれ、今日でも毎年7月と9月に披露されています。 今日を生きる私たちが、400年前に家康公や秀忠が祈願した舞を観ることができる――歴史ロマンあふれる魅力を感じます。
日本史|史跡巡り

杉山社(杉山神社)川崎市多摩区|家康公の謀臣・本多正信ゆかりの神社

今回は、地域にある神社が実は、徳川家康公の謀臣・本多佐渡守正信ゆかりの神社でしたというブログです。 正信は唯一、家康公の寝所に帯刀したまま入室することを許されていた程、家康公から絶大な信頼を受けていた名参謀です。 実は筆者が家康公の次に好きな偉人は、この本多正信です。
徳川家康公関連

東明寺(神奈川県川崎市)|徳川家康公が名付けた寺

攝取山浄土院東明寺は神奈川県川崎市幸区塚越2-118にある、浄土宗のお寺です。 東明寺という名前は、中原街道沿いにある西明寺にて徳川家康公が名付けました。
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二ヶ領用水|徳川家康公が小泉次大夫に作らせた神奈川県最古の用水路

二ヶ領用水とは、徳川家康公が小泉次大夫に命じて作らせた用水路であり、主に現在の神奈川県川崎市を縦断するように流れている神奈川県最古の人工用水路です。 慶長4年(1599年)に普請が始まり、慶長16年(1611年)に竣工した12年に及ぶ難工事でした。 二ヶ領用水という名前の由来は、江戸時代2つの領(稲毛領と川崎領)に流れていた事に由来します。
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史跡徳川将軍小杉御殿跡|徳川家康公も利用した中原街道筋の御殿

史跡徳川将軍小杉御殿跡は、かつて小杉御殿のあった跡地のことであり、現在は神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目の中原街道沿いにその記念碑が建立されております。 中原街道はまだ東海道が整備される前の時代、徳川家康公が江戸ご入府や鷹狩りなどに利用し、小杉御殿も利用しておりました。
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頭殿権現社|太田道灌が勧請し伊奈忠次が営繕した伊奈氏屋敷跡の権現社

頭殿権現社は長禄年間(1457〜1460)に太田道灌が勧請し、天正19年(1591)に伊奈忠次が陣屋に入った後に営繕したと言われています。 なお、伊奈氏屋敷跡は平成29年より「忠次プロジェクト」の一環として、町道が散策路として整備されたとの事です。
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武蔵国府跡(国司館地区)史跡広場|徳川家康公の棺が逗留した府中御殿跡

「国史跡 武蔵国府跡(国司館地区)史跡広場」は、平成30年11月25日に「国司館と家康御殿史跡広場」としてオープンした史跡です。 この史跡は、飛鳥時代〜奈良時代の初め頃(7世紀末〜8世紀初頭)に武蔵国府の国司館(こくしのたち)があった跡地です。 また、徳川家康公により天正18年(1590年)に建てられ、その後、正保3年(1646年)に焼失した「府中御殿」の跡地でもあります。
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伊奈氏屋敷跡|徳川家康公家臣「利根川を曲げた男」伊奈忠次の屋敷跡

伊奈氏屋敷跡は埼玉県北足立郡伊奈町大字小室217-5にある、関東郡代・伊奈忠次が天正19年(1591)に築いた陣屋跡です。 なお、伊奈氏陣屋跡は平成29年より「忠次プロジェクト」の一環として、町道が散策路として整備されたとの事です。
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家康ゆかりの茶堂(観音堂)埼玉県さいたま市大宮区

家康ゆかりの茶堂(観音堂)は、埼玉県さいたま市大宮区三橋2丁目にある千手観音像を祀る観音堂です。 この観音堂前の道を徳川家康公が通った際、里人から渋茶を振る舞われて喜んだ家康公が茶堂と名付けたそうです。 JR大宮駅から西武バスに乗り、バス停「三橋二丁目」で下車すると目の前です。
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